藤崎宮秋季例大祭奉納団体、武蔵連合会メニュー

藤崎宮秋季例大祭について

熊本県熊本市に鎮座する藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)の例祭でる。
この祭りの正式な名称は「藤崎八旛宮秋季例大祭」であるが、「藤崎八旛宮(藤崎宮)秋の例大祭」や「藤崎八旛宮(藤崎宮)例大祭」など、言い換えや一部省略した呼び方をされることもある。
また、地元熊本では通称「(熊本)馬追い祭り」と呼ばれ、毎年、60団体以上が奉納する熊本県最大のお祭りである。
以前は「ぼした祭り」と呼ばれ親しまれていたが、在日朝鮮・韓国人団体などによる民族運動の抗議により、藤崎八旛宮秋季例大祭と名前を改め、現在では名称、掛け声共に「ぼした」と表現することを禁じられている。
大祭の諸行事は9月の第3月曜日(敬老の日)をその最終日とする5日間にわたって行われており、第3日曜日に行われる神幸行列が祭りのクライマックスとなる。
その中で観客の注目を集めるのは、神輿に付き従う「随兵(ずいびょう)」と「飾り馬(かざりうま)」の奉納行列である。 飾り馬の奉納団体が、太鼓・ラッパなどの鳴り物でにぎやかに、それぞれ揃いの半纏に身を包み、扇子・花傘・ひしゃく・提灯・纏などを手にした勢子(せこ)たちが 「ドーカイ、ドーカイ」の威勢のよい掛け声で踊り、飾り馬をあやつりながら、熊本市内を練り歩いていく。
こうした飾り馬の奉納団体は、藤崎宮の氏子を中心とする地縁的なつながりを元にした団体、高校同窓会や職場団体、そして祭り好きが集まって作った愛好会的な団体など、その性格も多彩なものとなっている。 また、飾り馬は大型の馬からポニーや子馬といった様々な馬を使っており、各奉納団体により、独特の雰囲気が楽しめることもこの祭りの興の一つである。

藤崎宮秋季例大祭の由来

この祭りは、もともとは放生会(ほうじょうえ)に由来するものといわれている。
「随兵」は、加藤清正が文禄・慶長、大坂から無事帰還できたことを神前に感謝し、みずから随兵頭となって兵を引き連れて藤崎宮の神幸式に供奉したのが 起こりと伝えられている。その後、細川藩政時代にも継続され、随兵行列の三役(随兵頭・長柄頭・御幸奉行)は家中で選抜された高位の者が務めた。 「飾り馬」は本来、供奉神職の乗馬であり、神職と同数の12頭が奉納されていた。細川藩政期には家老格の家から馬を出していた。
また、かつて藤崎宮が鎮座していた藤崎台(現在は県営野球場がある)からは御旅所までの距離が短く、神職は乗馬せずに馬を曳いて供奉した。 そのため不用の鞍上に飾りを施したものが次第に大きくなり、今日のような紅白あるいは青白の太輪の飾りになったという。 馬上の飾りは「陽陰(ひのかげ)」と呼ばれ男女の性器を模った作りになっており、安藤流と小堀流の様式があったが、現在見受けられる型は安藤流のみとなっている。 家臣団の奉仕によるものであった飾り馬は、明治維新後、町方の手に移り、その奉納馬の数は時流の影響を受けて増減をみせてきたが、ここ数年は60頭以上の飾り馬が奉納されている。 かつては毎年9月11日から15日までの五日間、2001年の祝日法改正をうけて、現在では、9月の第3月曜日(敬老の日)をその最終日とする5日間となっている。 平成19年度の奉納団体は67団体。参加者数は約17000人の熊本一を誇る祭礼になっている。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部抜粋

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